「こどもを知る」シリーズの一番初め、「子どもの躾」で取り上げた
『子どもの家庭教育』(フィリス・ラインハルト)の中から、
今回は〈父親の役割〉について書かれてある章を取り上げます。
父性の欠如が子育てにおいて大きな問題だと
言われるようになってからかなりの年数が経ちますが、
未だ日本においては、子どもの躾は母親の役目…
という印象が強いのではないでしょうか。
躾は誰がするのでしょうか?
母親には母親の役割がありますが、
父親にも父親の明確な役割があると聖書は語ります。
親の役割を再確認しつつ、
殊に父親の役割にスポットを当てて考えていきましょう。
〈父親の役割〉
躾は母親の仕事ではありません。子どもを正しく躾け育てることは、人間として、また社会人として特に重要な仕事であり、両親が同じ負担をもってなされるべき役目です。父親と母親があるのは、それぞれが別の立場と役割を持っていることを意味しており、2人が協力し合うために別の立場と役割があります。しかし、家庭の権威の源は父親にある!と聖書は語ります。
長い歴史の中で、父親の役割として特に重要だったのは〈子どもたちに創造主である神さまのことを教え、神さまに従うよう指導すること〉でした。
父親たちは、家庭にあって永遠に変わらない真理である聖書を通し、何が正しいことであり何が正しくないことであるのかを教える責任がありました。必要な時には懲らしめをもってその真理に従わせることをしました。父親が子どもたちを愛し、かつ、正しい権威を感じさせる存在であるなら、子どもは父親からの懲らしめを強制と感じるどころか、むしろ父親と神さまへの畏敬の念を深めていったのです。また、親子の間で様々な問題が語り合われた時には、父親がその問題をどのように捉え、どのように対処したらいいのかを聖書から示し、一緒に祈ることよって全ての問題を神さまに委ねていきました。家庭の中心は人間ではなく、神さまであったからです。
アメリカの故ケネディ大統領は「私にとって、一国を治めることにもまして、私の家庭を治めることは大切なことだ」と語ったそうです。男性にとって父親、また家長として立つことは、一国の大統領になることよりも大切なことなのです。神さまは男性に「大統領になれ」とは命じていませんが、すべての男性に、父親となり一家の中心になるよう命じておられるのです。
〈素晴らしさは「弱さ」の中に〉
このように語ると、父親は立派でなければならないという印象を与えてしまいますが、実際、家長として立てられた父親であっても欠点だらけ…なのです。子どもの我がままを指導できなかったり、子どもの助けになれなかったりと自信を失っている父親もいることでしょう。しかし、聖書を基準としている家庭の素晴らしさは、その立派さにあるというよりむしろ、その〈欠点や弱さの中にある〉と言うことができます。家庭の中心に神さまがおられ、神さまは欠点と弱さを持っている家族を支え、導いて下さる方だからです。聖書の中に「わたし(=神さま)の力は、弱さのうちに完全に現れる…」(Ⅱコリント12:9)と約束されています。ですから父親は、自分がダメ親父であると思っても、焦ったり、失望したりせず、また意地を張ったり諦めたりせず、神さまの前に自分の弱さのすべてを率直に持ち出していくことができます。子どもたちは、神さまの前に自分の無力さを認めている父親の謙遜な姿を見た時、父親の弱さではなく〈強さ〉を発見します。そして、尊敬をもってそのような父親に従っていくようになるのです。
神さまという存在に頼り、真理である聖書から親も子どもも共に学び、聖書に従うことを家庭の中心、かつ、教育の中心とするなら、子どもは親を敬い、家族が互いに強く結ばれていきます。これこそが家庭が安定する秘訣だからです。神さまを知り、神さまの言葉に聞き従うことが家族を結ぶ糸なのです。
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つづく









