〈親の権威〉
罰は親の権威を教えるためにあります。その意味は、注意を与えるたびに「お父さん(お母さん)は権力者なんだぞ!」と圧制することではなく、その必要がなくなるように、土台として親には子どもを従わせる権威がある(その権威を神様が親に与えている)ことを示すことが大切です。小言ではなく、その言葉の裏には力と愛情があるとはっきり分かれば、子どもは従うようになるのです。
親がよく失敗するのは、その時の気分に任せて罰を甘くしたり、途中でやめたりすることです。これは子どもの混乱を招き、親を尊敬しない態度を作り出していきます。親の権威は力を示すだけではなく、必ず尊敬を受けるに値するものでなければなりません。子どもには親の真剣な態度は必ず届くからです。
この権威さえ定まれば、罰は必要なくなり、真剣な表情で「そんなことをしてはいけませんよ」と言うだけで言うことを聞くようになります。言葉の裏にある力を子どもが十分に知っているからです。厳しく叱っている割に、ちっとも言うことを聞かないのは、お母さんの勢いは強いのに、言葉が弱いからです。その裏に権威があってこそ、言葉には力があるのです! その権威を感じるとき、子どもは自分に対して現されたのが怒りでも、軽蔑でもなく、自分に対する関心と、親の決心の強さであるとまっすぐに受け止めるようになるでしょう。大切なことは、懲らしめつつ、「悪いのはその子ども自身ではなく、その行動だ」ということをハッキリ示すことだからです。
〈従う習慣の重要性〉
間違ってはならないことは、罰はその子を打ちのめして、おとなしい子にしてしまうことではありません。あくまでも、素直に言うことを聞くことができる子にするためのものです。子どもはいたずらをし、反抗もしてみて成長していくものですから、罰がその成長を摘み取ってしまうものであってはなりません。「言うことを聞く」という本当のたくましさを養うためのものです。
なぜなら、言うことを聞く習慣は、絶対的な真理である神様の言葉に従う習慣を養うからです。神様の言葉に従うためにはたくましさが必要です。なぜなら、自分の内側からも外側からも従わせまいとする挑戦を子どもは日々受けるようになります。そしてどんどん自己中心人間になっていくからです。絶対的な真理に従える習慣は人生の勝利だからです。
子どもが言うことを聞く習慣を身につけると親は信頼を感じ、感情的に怒ることが少なくなっていきます。子どもといることが楽しくなり、関係は美しくなるでしょう。腹を立てて子どもを怒るのは、権威に対して自信がないからです。罰は親子関係を萎縮させるものではなく、かえって明るい広い心のつながりをつくることになります。意外…と思う人も多いかもしれませんが、多くのクリスチャンが、このような子育てを通して、美しい家庭を築いてきたのです。
〈罰を与えることに関して、どのように愛を示すか〉
正しい懲らしめは道徳を効果的に教え、愛の意味をはっきりと現すものです。では、どのようにして愛を示していけばいいのでしょうか。
罰を与える前後に、どうしてその罰を与えるかを説明する――先にも書きましたが、親の怒りの対象は、子どもではなく、その悪い行動だということを言葉や態度を通して現すことです。
罰が終わってから、愛情を示すこと――子どもは正しく罰を受けたら、親の愛を更に感じます。その時、罰が本当に終わったことや、普通の状態に戻ったことを子どもにわかってもらうために、一緒に遊んだり、優しく話しかけるなど愛情を示すことを探します。子どもを心から赦し、本当に終わったということを子どもに明らかにすることで、暖かい関係を持ち続けることができるようになるのです。
このように聖書に基づいた愛と懲らしめによる家庭教育の結果は、子どもを従順にし、明るくし、成長プロセスに応じた喜びを一緒に経験できる秘訣です。愛と懲らしめによる家庭教育は、聖書の教えです。
「子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる」
(箴言13章24節)
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子どもの躾:終了





