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第2回 子どもの躾:その2

〈懲らしめる時の態度〉

 「子どもを懲らしめること」と「怒りを表すこと」は同じではありません。日本の子どもは叱られた時、お母さんに「怒られた」と言いますが、実際に親の怒りを強く感じていることを意味しています。「怒る」という言葉には感情的な意味が含まれていますが、「懲らしめ」にはそれがありません。では、いったい、腹を立てずに、子どもを効果的に懲らしめることができるのでしょうか…。懲らしめる時にどんな態度をとったらよいのでしょうか。

 まず、その基本である愛を忘れてはなりません。懲らしめは怒るためのものではなく、子どもを正しく教え導こうとする愛から出てくることだからです。また、懲らしめの目的は、子どもたちの人格を形成するためです。ですから、腹が立たないから懲らしめなくてもよいというものでもありません。怒りと懲らしめとを混同しないようにしましょう。


 では、懲らしめはいつから始めたらよいでしょうか?……良い習慣や悪い癖はとても早いうちに覚えるので、小さい時から始めた方が良いです。日本は子どもが言うことを聞かなくても「まだ小さいので分からない」と軽く叱るだけだったり、見過ごしている人が多いのですが、悪い癖のついていない小さい時に教える方が簡単で、子どもも素直に聞き入れるようになります。


「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない」

(箴言22章6節)

〈どのように良い習慣を養うのか、良い人格を形成したらよいのか?〉

 愛のある関係を保つこと——家庭関係の基本は愛です。可愛がること、子どもの話を聞くこと、それに答えること、一緒に遊ぶことなど、愛情はいろいろな方法によって示すことができます。まずは、愛のある暖かい関係を保つことが大切です。


 どれを悪いこととするかを定め、はっきりと子どもに伝えること——やたらと「これはダメ」「これはいけません」などと連発されてばかりだと、子どもはいつも小言を言われてかき回されているような気持ちになります。また、「ダメ」と言われる事柄が、その場の雰囲気や都合で変わると、子どもは何が本当に悪いのか基準が分からず混乱してしまいます。そして「注意された行動=いけない」ということは覚えず、親の怒りの感情だけを記憶するようになってしまうのです。

はっきりといけないことを教え、本当に理解したかどうかを確かめること。

それでも子どもは親を試し、親の顔を見ながら悪さをします。その時も「それはいけない」と前に語ったことを変えず宣言することです。決して「さっきも言ったでしょ! この子は何回言ったら分かるの! お母さんの言っていることがわからないの?」とガミガミ言ってはなりません。親の感情が負担になって、従うことができなくなるのです。

 ただ単純に、しかし、厳しく「これはいけない」ということを示し続けます。必要なのは『繰り返して言う忍耐』と『厳しい態度を変えない忍耐』なのです。

 さらに具体的に言うと、


 鞭を打つことをひかえない(箴言23:13-14)——鞭を打つとは、罰を与えることです。罰を与えることに抵抗を覚え、「可愛そう」と思ったり、「逆に反抗心を強めてしまうのでは」と心配する人がいますが、この2つは、子どもへのいたわりではなく、親である自分へのいたわりであることに気付くべきです。「子どもが傷つくのを見るのは私にとって辛いことだ」「子どもに反抗されて傷つくのは辛い」というのが本音なのです…。子どもを鞭打つ勇気は、親が自分の気持ちに傷をつける勇気であり、傷の痛みを乗り越えて子どもに近づいていくことです。これが愛なのです。


 忍耐強くしつける——対決の場面が来たら、熱心に忍耐強くしつけること。例)子どもが親の注意を聞き入れない⇒おしりを叩く⇒子どもが親を試す⇒少し力を入れて叩く⇒再び親を試す⇒裸のおしりを強く叩く。親が忍耐強くしつければ、どんな子どもでもついにその頑固さが破れ、体罰が完成したときから親子の関係は美しいものとなるでしょう! 子どもは自分が悪かったとちゃんと認めさせてもらえると心が自由になります。逆に鞭打つことをひかえると、かえって子どもの反抗心が強くなっていくのです。

つづく

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