子育ての本はたくさんあるけれど、どれを選んだらいいの…。
そう迷っている間に、子どもはどんどん大きくなり、
次々に問題が起きる毎日に、疲れてはイライラしてしまうお父さん、
お母さん方が増えていると思います。
伝統的な価値観や倫理的な基準が崩れてしまった今、
子どもを育てるための信頼できる基準はあるのでしょうか?
実は、聖書にその基準があるのです。
家庭教育はもちろんのこと、人間のどんな問題についても
聖書は多くの明確な指針と基準を与えてくれます。
第1回目の「子どもを知る」シリーズは、子どもの躾についてです。
クリスチャンであり子育てについて長い間講演を依頼されてきた
フィリス・ラインハルトさんの著書『子どもの家庭教育』から、
子どもを知ることを始めていきましょう。
〈愛と懲らしめ〉
家庭教育にどうしてもなくてはならないものが2つあります。1つは「愛」、もう1つは「懲らしめ」です。家庭教育の基本が愛で、愛から懲らしめは出ます。
もし、「愛」だけで〜可愛がることしかしない場合〜子どもは、欲しいものをすぐもらえる方法として両親を自分の思いのままに動かすことを覚えます。
子どもが小さくて可愛いために、親は大切な時期に懲らしめを忘れやすいのです。すると小学校に入る頃には可愛さが消え、言うことを聞かないわがままな子どもになってしまいます。他人のことは考えない、自己中心の傾向も強くなっていきます。これは、懲らしめることを忘れた当然の結果といえるでしょう。
一方、もし「懲らしめ」だけで可愛がることをしないとどうなるでしょう。子どもの性格がひねくれてしまいます。これは、愛情を示さなかった当然の結果です。花が育つために雨が必要なように、子どもにも愛情が必要です。つまり、愛情も懲らしめも両方必要で、一方を強調し、一方を無視するならば不幸をもたらすのです。
〈親子関係の模範〉
このようなことについて、聖書はどのように教えているのでしょうか?
親の子どもに対する態度の模範は、人間に対する神様の態度にあります。「神は愛です」と聖書が言っているように、神様は人間を非常に愛してくださっているお方です。そして、その愛は曖昧なものではなく、美しい自然、美味しい食べ物、小さな花一輪などにも現れているように、具体的に示され身近に感じるものです。一方、正しい神は、人の悪や罪を嫌われる方です。だからこそ、人間を愛しその愛を表現しつつも、正しい道を歩ませるために罪があればその罪を正しく罰します。
「わが子よ。主(神)の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる」
(箴言3章11-12節)
自己中心で罪ある生活を送り続ける子どもは、最終的に不幸になってしまいます。神様の懲らしめは、神様の人間に対する深い愛の証拠です。ここに親子関係の模範があるのです。
皆さんは「こんな子どもになって欲しい!」という理想や希望以上に、子どもを「罪と罪の結果から逃れさせたい!」という気持ちを強く持っていますか? 自分の子どもに対して抱いている気持ちを整理してみましょう。
しかし、大切なことは、子どもを教育する責任をもっている親自身も、子どもを育てることや愛について、学ばなければなりません。基準を知らない親が子どもに基準を教えることはできないからです。自分も教育されなければならない親であることを深く認識すること、ここから子育てが始まります。この認識が理想的な家庭教育を実現させていく力となるのです。そしてその基準を聖書が明確に教えてくれます。
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まず、子育てについて聖書は何と言っているかを
知ってみてはいかがでしょうか。
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つづく






